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太宰治の感傷的な旅 「演劇 津軽」

「なぜ旅に出るの?」
「苦しいからさ」

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なぜだろう?
僕は物憂げなその風貌から、太宰治に傾倒しているのだろうと勘ぐられる。
残念ながらその様なことは一切なく、太宰治へのこだわりもあまりありません。

「文士」という生き方については、時折気が滅入る様に考えさせられますが。

演劇 「津軽」

「ふるさとがえり」でお世話になった村田雄浩さんが太宰を演じる舞台があるというので、
行って来ました。新宿へ。
正確には、恐れ多くも、マネージャーさんが席をご用意してくれたので観て参りました。

太宰治の「津軽」という作品をアレンジした舞台
青森県立美術館の舞台芸術総監督の長谷川さんが、脚本・演出をしてらっしゃいます。
ちなみに東北新幹線が「全線開通」ということもあり、
この舞台は「青森県芸術・文化力首都圏発信事業」の一つとして 企画されたものでありました。
昨年、太宰治生誕100年を記念して芦野公園の側で野外上演され、それはそれは評判になった背景があります。
あくまでも、作品ありき。が、あった上での東京新宿公演でした。

青森県へ来て下さい! その様な願いが籠っているわけですね。ここでは。
内容は、こんな感じです。
こちらはその様な青森県の意図に惑わされない様に、真剣に舞台を楽しもうと臨みました。

太宰さんが知合いの編集者から、
「ちょっと、故郷について風土記を書かないか?」と言われたのがきっかけで、
小説の「津軽」は書かれました。

「なぜ旅に出るの?」
「苦しいからさ」

冒頭、身重の妻とそんな会話をして故郷へふらふら行くあたりが、いかにもな感じです。
ロマンティストな僕も、一度は言ってみたいセリフですが、同じシチュエーションでは絶対に言えないでしょう。
妻の張り手が飛んで来るに違いありません。

そんな会話よりも驚きだったのは、太宰さんが故郷めぐりをした時期。
昭和19年5月から6月。
太平洋戦争まっただ中の(しかも、ちょうど連合国軍優勢が明確になってきてる)時勢に、
忌避し呪っていた故郷をふらふらすることになってしまった彼の背中が、
なんだか愛おしくなってしまいました。
(連日呑んだくれているあたりが、特に愛おしい!)

故郷の文化や風土や人間性に辟易しながらも、時に素直に優しい眼差し。
小説「津軽」は、とても自然体で素直で、ユーモアたっぷりな、元気のいい文章。
全く、影がありません。健気な命が愛おしく書かれています。

「変わらないものがある。だから僕は変わっていける」

己とは切り離せない、己の一部分である故郷への愛憎。
土着語(津軽弁)と標準語の葛藤。
そういう普遍的なものを迫られてしまう、気ままな太宰さんのぶらり旅。
「太宰治の旅」という設定は、僕みたいな若輩脚本家にはたまりません。。

あれこれ言いたくなる 舞台、戯曲についての評論めいたことは、どうでもよい。そんな気になってしまいました。
舞台をぼんやりながめながら、全く関係ない思索の旅に耽るはめになります。
それはそれで、演出の意図ならば完全にやられてしまったのでしょうか。

それとそれと、村田さんが醸し出す「純朴そうな太宰治」は、この「津軽」という原典においては、よいなーと感じます。
小説の解説では亀井 勝一郎先生があれこれ述べている部分を、
素直にキャスティングで表現している様な、、僕はそう思いました。
(亀井さんは「津軽」が太宰治の代表作と言いきっています。なるほど! な意見でしたよ)

青森県は「津軽」こそ、わが県の最高のガイドブックであると宣言しております。
(そもそも熱心な太宰ファンが、昔から「津軽」肩手に「津軽巡礼」していたからこそ、こうもなるのですが)

かく言う僕も、やはり最後には、ああ、津軽行きたいなーと感じてしまうわけで。
半分以上を占める地元・青森の県民キャストさんがずらりと並んで、涙涙のカーテンコールは、
ぐっと来てしまいます。泣けました。それは、自分の映画行脚も多分に影響しているのでしょう。

みずからの物語を、ともに物語る行為を通じて、
私たちは、共同体は、魂に栄養を与え続けてきているんだと感じます。
文字が生まれる、もっともっと昔から。
コミュニティ⇒アイデンティティ⇒ストーリーの絶え間ない営みが、
サルがヒトになった経緯なんなんでしょう。

と、おおげさなことを感じてしまう「演劇・津軽」でした。
忌み嫌い、そして愛する、己の一部でもある「故郷」。
津軽旅の「終着点」でのエピソードは、その時代と重ねて感じると、
彼の声なき声が聞こえてきそうです。

なんだか、舞台ではなくすっかり小説の方の話になってしまいましたが、、、。
そう言えば、休憩時間とともに、「お弁当」が観客に配られました。
影アナウンス「みなさまに、太宰治が好んだ郷土の食を味わって頂くために・・・」と、
きたもんです。しかも、美味しい。これは理屈に勝ります。恐るべし青森県。

やっぱり羨ましいかな「郷土食」

やっぱり羨ましいかな「郷土食」

「演劇 津軽」は、青森県から太宰治へのラブレターです。

終演間近に語られる、
「太宰さんの旅に、大切なことを教えられました。 故郷とは発見するものだと」というメッセージ。
ご本人が聞いたらなんと言うか判然としませんが、青森県からのラブレターと思えばこそ、腑に落ちます。
小難しい文学論や演劇評も、もはやどうでもよいでしょう。
あらゆる解釈がありますが、太宰治はどんな形であろうと、もてはやされることが大好だったと思います。

僕にとっての「津軽」は、なんなんだろう。あるんだろうか。
そんな問いをもらい、また「書けよ、書け。もっと書け」と、励まされた気分になりました。

「さらば読者よ、命あらばまた他日。元気で行かう。絶望するな。では、失敬」
(太宰治  『津軽』)

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